人目を気にしていたら経済的な成功はない

人目を気にしていたら経済的な成功はない

自分にはなにも特別な才能も運もない。

努力しても、人生が好転することがないと分かった時、それは絶望となるのか?

それとも、人生が好転するという根拠のない希望をあきらめたとき、開かれる扉はあるのだろうか?

一般的な多くの人はコツコツと努力を続けていれば、明るい未来が開けると教えられている。

しかし、それは本当だろうか?

誰もが簡単に才能に気付き、淡々と努力できたなら何の問題もないだろう。

でも、現実はそうじゃない。

多くの人間は、平凡で多くの影響を与えるようなことは成し遂げられない。

97%の人間は在庫であるという意見もあるぐらいに。

40年ほど生きてきて、衰えを感じ、自分が何者でもなかったことに薄々気付き始めた。

特別な才能を信じていたとか、そういったことではない。

ただ、どうにか努力を続けていれば、人並み以上のことを成し遂げられるんじゃないかと思っていた。

しかし、どうやら勘違いだった。

おそらく、賢い人が言うように、99%の人は特別な才能なんてないのだ。

映画の主人公のように約束された能力なんてないのだ。

自分は特別な存在でもなければ、特別に運がいいわけでもない。

どちらかといえば、平均以下だったのだ。

そして、本当はとっくの昔に自覚していて、そのことを隠すために無駄な努力をしてきたのかもしれない。

結果の出ることのない努力は、そんな低能な自分を誇張して見せるためのくだらない見栄だったのだ。

とにかく、何者でもない自分を誇張するためだけに無意味な努力をしすぎてきたのだ。

ほとんどの人間がそうであるように、自分は特別でもなければ、才能も運もない。

ただ、それでも生きていくしかない。

幻想的な自己への妄信から解放されたとき、プライドはなくなる。

根拠のない努力をやめて、生きていくための方法にだけ焦点を合わせていく。

スマートに生き抜けるほどの才能や力はない。

ただ、生きることにがむしゃらになる。

なりふり構う余裕はない。

生き抜く方法にまで、恰好をつけていたら生き抜けない時代だ。

プライドや恰好なんて関係ないし、他人はそれほどこちらを気にかけない。

芸能人でも1年も人目に付かなければ、忘れ去られていく。

一般人ならなおさらだ。

すべての行動は人目を気にしていた

ほとんど、人目を気にして生きてきた。

勉強も仕事も恋愛もすべて、自分の気持ちよりも、他人からどう見られるかばかりを気にかけて生きてきた。

子供のころは、親にどう見られるかが大きな意味をもっていた。

それだけ、子供にとっては親は影響が大きいからだ。

つまり、自分の親さえも信用していなかったのだ。(人間不信)

無条件で愛されると信じていなかった。

何かしら、親にとってのメリットになっていなければ、愛されず、生き残れないと思っていたからだ。

ただ、もう違う。

最悪、自分はもう十分生きた。

べつに、いつ死んでもかまわない。

ただ、子供たちはもう少し大きく育てないとダメだ。

だから、なりふり構わず、育てるしかない。

凡人以下

家柄にも恵まれ、生まれた時から財産もあり、知性も才能も容姿も恵まれた人間もいるだろう。

ただ、自分はそのどれも持ち合わせていなかった。

だから、親の言う通りに勉強して、そのすべてを手に入れようとした。

でも、ムリだろ。

どう考えても。

持ち合わせていないものが多すぎた。

それなのに、プライドだけは高くて、人目を意識したままスマートに結果を出そうとしていた。

正攻法で、誰からも憎まれないように、余裕を見せて恰好つけて勝とうとしていた。

いや、才能もルックスも持ち合わせていないのに、ムリだろ。

知能も平均以下なのに。

結果だけを追求する

自分のように、アドバンテージが何もなく、才能、容姿、運にすらも見放された人間が、成功する方法は一つしかない。

すべてを捨てて、自分が本当に欲しいものに正直になることだ。

それが、今は「お金」だ。

もう、恰好はつけない。

人目をいくら気にしても、お金がもらえるわけじゃない。

人からの賞賛と貴賤は比例しない。

むしろ、反比例する場合も多い。

ただ、貧しくてそれでも賞賛される人間をあまり知らない。

むしろ、特別行いが人道的でなくても、経済的に成功しているほうが賞賛されることが多い気がする。

人間はそんなもんだ。

富めば富むほど、人からは賞賛され、より富む。

本質など誰も見ていない。

つまり、現代において、お金を持つことである程度の表面的な評価は決まってくるのだ。

その事実から目を背けてはいけない。

まとめ

犯罪でなければ、どんなことをしてでもお金を稼ぐことを最優先する。

それが、資本主義においてビジネスをする者の宿命だ。

きれいなものではないし、生きるためにほかの命を犠牲にする自然界と何らかわらない。

そのことをまず、心の芯から理解していないとビジネスで成功することはない。

先天的に、そのことを理解している人間もいる。

「誰かをうまくだまして、お金を巻き上げましょう。」とは、学校では教えてくれない。

でも、ビジネスやマーケティングの本質はそこにある。

たしかに、救急車で助かる命もあるから、自動車産業は多くの人の命を救っている。

しかし、その裏で、交通事故で多くの人の命が犠牲になっている。

人道的でなくても犯罪でないことは山ほどあり、偽善的にうまくカモフラージュされているが、すべてのビジネスは非人道的な部分をもっている。

つまり、品行方正に、正しいことをし、人々を本当に幸せにするものは、ビジネスではないのだ。

それは、公共事業かボランティアだ。

つまり、何かしらのお金のやり取りを伴う経済活動は、その時点で非人道的なことをしている。

どんな社会においても、きれいごとや、かっこいいことだけでは、生きていけないのだ。

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