死を意識して人生を変える!!あなたは何歳で死にますか?

年齢も40歳を迎えようとしています。

現代では人生80年や100年時代なんて言われていますよね?

人生観なんて人それぞれですが、最近、『長生きすることもないかなぁ。』という気持ちも湧いてきました。

40歳と言えば、なんとなく体力も衰えてくるし、思考も鈍ってくる。

あと10年ぐらいは何とか働けるとしても、一部の人間を除いてはパフォーマンスは下り坂になってしまいます。

自分自身の気持ちでは新しい仕事などに挑戦しようとしても、その職種において未経験の50歳以上の人間を正社員として雇うことは無いでしょう。(余程の実績がある人や権力者の天下り以外は・・・。)

そもそも現代の日本において、人生設計やファイナンシャル・プランニングといったものは、どれだけの意味を持つのでしょうか?

自分で死ぬ年齢を決めておく

ちょっと怖い見出しですが、何も自殺しろと言っているわけではありません。

もし、安楽死が法的に認められている国にでも住んでいれば話は別ですが・・・。

当然、そういった国々でもきちんとした理由(重い病のために生活していくことが困難など)があり、州知事などの同意をもらうことが必要だったりします。

ファイナンシャル・プランナーに相談するとき自分の現在の年齢、そして、一番重要である『何歳まで生きるのか?』ということをまず決めますよね?

病気などで3ヶ月や半年と余命を宣告された人が、ファイナンシャル・プランニングをすることは考えにくいからです。

いちおうの平均寿命から算出した人生設計を組むワケです。

それも、事故や病気など突発的な『死』は考えないで。

80歳前後でこの世を去ると考えるのが、一般的でしょうか?

ある意味、これも死期を決めていると言えます。

でも、30代前後に人生を計画したところで、不確定要素が多すぎる気がします。

2人に一人はガンになり、結婚する人は減り、離婚率は増えています。

絵に描いたような幸せな人生を歩める人もいるのでしょうが、60歳前後のガンの発症率は50%、全体の離婚率は35%前後です。

少なくとも、半分以上の人はなんらかの苦難を受け、人生設計が狂います。

決してファイナンシャル・プランニングを否定するつもりはありません。

ただ、長すぎる想定寿命はあまり意味を持たない気がします。

とくに、今後の日本においては一部の富裕層を除き、平均的な人生設計がどれだけの意味を持つのかも疑問です。

そして、『死』というものが曖昧になり、1日1日がぼやけてしまうことが懸念されてならないのです。

60歳でも長い⁉50歳に死期を設定する

いくら平均寿命がのびているとはいえ、脳の衰え、筋力の低下、内臓の機能不全は進行していきます。

そう考えると、個人的には50歳までが人間をしての機能の限界で、生産性は著しく落ちていくと思います。

ただ生きていくことが許された時代は過ぎてしまったように感じます。

年金制度の破綻が物語っているように、受給年齢がのび、受給金額が減っていけば、必然的に定年後も働かなければなりません。

簡単にこの状況を解釈すると、『働かざる者食うべからず』ということになります。

確かに、昔からある言葉ですが、決して、高齢者に向けられたものではなかったはずです。

しかし、現在、そして、これからの日本では老体にムチを打ってでも労働しなければ生きていけないことになります。

つまり、高齢者だから、労働しなくても生きていられるという時代は終わりを迎えようとしているのです。

極論、死ぬまで健康体を維持して労働するか、それとも死ぬかという選択になるわけです。

少なくとも一般人はそうなるように仕向けられているのです。

国も会社も守ってはくれません。

80歳を過ぎると、家族も守ってくれません。

それが、現実ではないでしょうか?

とくに男性は覚悟しておくべきです。

家族には疎まれているのに、幸せな老後を期待するのは馬鹿です。

貯金もなく、退職金も減っていく昨今、自分の存在意義を考え直す必要があるのではないでしょうか?

しかし、ここで解決策があります。

それは、早めに死ぬことです。

そうすれば、すべての問題から解放されます。

人はみんないつかは死にます。

早いか遅いかだけです。

大丈夫、安心してください。

家族も1日2日は悲しんだふりをするでしょうが、保険金が下り、住宅ローンが免除されたことが分かれば、何事もなかったかのようにいつもの生活に戻っていきます。

あなたの『死』なんてそんなものなのです。

あなたの命は軽いんです。

生きている若者の『生』の方が大事なのですから。

もともとはみんな無限大の可能性を秘めた命を授かって生まれてきます。

つまり、命の価値は長く生きるにつれ少なくなってくるんです。

自分なんかは現在アラフォーなので、生まれたころの半分以下の価値しかないでしょう。

生涯年収で計算しても、おそらくそれぐらいです。

社会全体からしてみれば、年金を受給している時点でマイナスにしかなりません。

年金だけではなく、医療保険の負担も大きいでしょう。

自分も含め、社会貢献できていない時点で日本のお荷物なのです。

こんなこと普通は口が裂けても言えません。

でも、だれもが、こころの中で思っています。

そして、現在そう思っているあなたにも、同じようにお荷物になるときが来るのです。

だから、自分はせいぜい50歳までが限界だと思っています。

自分は今の現在40歳ですが、後10年後には『死』を意識しようと思います。

決して、マイナスな意味ではありません。

20代30代、『死』について考えたことはありましたが、だいたいマイナスな意味でした。

『もう死にたいな。』『人間関係も仕事もきついから・・・。』

それが、40歳にもなるとけっこうリアルに『死』を意識しやすくなります。

10年という年月を考えやすくなるのです。

たとえば、20歳から30歳までのイメージだったり、30歳から40歳までのイメージがあるので、『あぁ、10年ってこれぐらい環境が変わるのかぁ。』とか『かなり短いな。』といった感じに、それぞれのイメージに違いはあれ、おおよその時間的な長さをつかめます。

さらに、死を50歳、つまり、後10年と意識することで1日1日の大切さから、無駄な時間を過ごさないようになるし、多くのことはできないことにも気づきます。

そして、老後のことを考えなくて済むようになるので、気持ちの負担や不透明な何十年後もの不安もなくなります。

10年後に自殺する必要はありません。

でも、半分以上は心のどこかで本気で『死』を意識していないと意味がありません。

カタチだけの死期の設定なんて、不確実なファイナンシャル・プランニングと変わりません。

本気で10年後に死ぬと思って生きていって、死ぬと決めた当日の朝にやっぱり死ぬことをやめてもいいわけです。

逆に、10年後に死ぬと意識して生きた10年が貴方の人生を好転させ、その後の人生を楽しく歩んでいける環境になっているかもしれません。

そんな未来のことは誰にも分かりませんが、いまあなたの中で死がぼやけてしまって、1日1日を無駄に過ごしているなら、確実に思い描く理想に近づけることは確かでしょう。

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