清廉潔白な人間なんていない

生きたくても生きられなかった人がいる。人間はかなりあっけなく死んでしまう。どんなに生きるのがつらかったり、大変だったとしても、やっぱり死の恐怖は大きい。

たとえ、どんなに自分のことを価値のない人間だと思っていても、生きているかぎり、生きなくてはいけない。

どんなに希望がないと思っても、意外と死ねない。

ガマン強くてマジメな人ほど、生きていくことを悲観して、結局はなにも行動できなくなってしまう。

ただ、最近はそれでも、あるがまま生きるしかないということだ。

いろんな人間がいてもいい。

誰かが優れているように見えても、そうならなくてもいい。

自分のまま生きて、死んでもそれで完璧だということだ。

いい生き方とか、わるい生き方とか決めてしまうこと自体が苦しみの始まりなんだろう。

すべてを飲み込んでしまうブラックホールは悪なのか?

地球の構造上起こってしまう地震は悪なのか?

すべては、どこかの誰かが定義したものだ。

あいつが気に入らないとか、コミュニケ―ションが取れない人間はダメだとか。

じゃあ、しゃべれない障害を持つ人間は悪なのか?

それぞれの存在を認めないから争いも起こる。

ひとがひとである以上、差別、争い、妬み、嫉み、恨み、などなどなくなりはしないのだろう。

誰かを下に見たり、くらべたり、自分のほうが優れてるとか、幸せだとか、自分とまわりを比べては一喜一憂しているのが人間なのだろう。

目先の欲望に押し流され、狭い範囲のものに固着し、大衆が決めた価値観に必死になってすがりついて生きている。

それもこれも、ひとという存在がもろくはかなく、弱いからに違いない。

銃弾ひとつで死んでしまい、小さなウイルスにまで殺されてしまう。

人生100年と言われても、刹那的に生きる。

それなのに、すぐには命の危機にかかわらない問題に頭を悩ませ、自傷行為のように自分を自分で追い込んでしまう。

かと思えば、かんたんな快楽に身をゆだねて現実逃避もしてしまう。

本当に利己的だ。

そんな完璧でない人間が、完璧でない人間を毎日のように自己都合で、利用し、支配し、思い通りにならなければ、亡き者にしていく。

いつまでたっても、どんなに文化、文明、経済、倫理やそれを守る機関があっても、結局はなんでもありの世界で、やったもん勝ちな世界なのだろう。

この世界で、ひろく謳われている平和条約や法律、倫理観は、人間の本質の裏返しなのだろう。

だから、言葉と組織で統治してきたのだろう。

しかし、その力も、絶対ではない。

反社会勢力やマフィア、テロや侵略戦争は無くならない。

毎日、子供は被害者になり、かたや、何万人もの人を救える資金を一日で稼ぎ、豪遊している人間もいる。

そんな不条理で、矛盾だらけの世界でいきていくのに、正義だとか、善行だけでは生きていけない。

自分自身が生きていくこと、せまい範囲のひとを生かすためだけに生きているだけだ。

それ以外は偽善どころか、一般的には悪と定義されることも正義になる。

そして、そんな偏った正義をいだきながら、たった、80年余りを傷だらけになり、くすみ、よどみ、濁り、多くの罪と憎しみを背負いながら、最後は無に帰せるというのは、最大の救いなのだろう。

人間は、生きていく限り、ほかの命を犠牲にし、地球を汚し、宇宙にまでごみをばらまき、地球上のほかの生命をすべて消滅させるほどの核を生み出してしまった。

あなたもわたしも、その恩恵のうえに現在の生活を営んでいる。間違いなく、おなじ犯罪者だ。

どんなにきれいごとを謳っても、おなじ罪を犯している。

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