最近は、怒りのままにクレームを言ったり、文句を言えば、何かしらのサービスをしてくれるという風潮がある。
当然、企業側に問題があることが多いのだ。
しかし、企業側はなんとか落ち度を悟られないよう口八丁手八丁で、丸め込んでくる。
問題を大きくしたくないのだから当然といえば、当然だ。
そして、ほとんどの弱い立場にある人間は、泣き寝入りを余儀なくされる。
ただ、クレームや問題を言えば、何かしらの対応をしてくれるかもしれないが、それもバカバカしいし、何より時間と労力の無駄になることが多い。
しかし、こういった悔しい思いをいい方向に向かせることが最善の気がする。
たしかに、この世界は理不尽なことであふれている。
このように怒りをおぼえることもあれば、どうにもならないことに絶望することも多い。
ただ、大人にになるにつれて、悔しい思いや悲しい思い、心から怒りをおぼえさせてくれることはなかなかないことだ。
むしろ、怒りの感情を与えてくれてありがたいとさえ思う。
その怒りや悔しさが、また、成長の糧、向上心を生み出してくれる。
小さなことから、多くの人に影響があるような大きな問題。
権力者たちの身勝手な行動。
身近な事柄から、世界の問題まで。
どんな問題に怒りの感情をもってもいい。
ただ、大切なのは、それが本当に自分の考えや感情からきているかということだけだ。
誰かの怒りに便乗するでもなく、純粋な自分の感情である必要がある。
本物の怒りしか、行動に移せないし、持続できない。
怒りとは、ある意味、欲求が満たされない状態だ。
こうなってほしいのにならない。
こうしてほしいのにしてくれない。
とにかく、自分の思いとは裏腹に、そうなってくれないから怒るのだ。
それは、つまり、一種の『欲求不満』の状態なのだ。
しかし、それでいいし、それは『欲』なのだ。
こうなりたい、そうありたいということも健全な欲なのだ。
現在、私たちは、先人の作り上げてくれたインフラ、システム、技術に多くの恩恵を受けて、生きている。
それは、とてもありがたいことだ。
多少の問題はあれど、まずは、感謝を言いたい。
人類を現在の場所まで繋いでいただき、本当にありがとうございます。
そして、私たちは、先人たちの恩恵を継続していく責任があると思う。
責任というと堅苦しいが、『思い』を繋げていくということだと思う。
これまでの先人たちの喜怒哀楽、とくに、怒りや哀しみといった負の感情が大きなエネルギーとなったことは、言うまでもない。
そうやって、これからも人類は怒りや哀しみを克服しながら、思いを受け継いでいくのだろう。
最後に、怒りはとても大きなエネルギーだ。
これを、大きな声を出したり、ののしったり、暴力で解決するのではなく、いつでも人類全体に継続的な価値を提供できる方向に力を使っていけたらいいと思う。
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