成功するには?

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悲しむ男性

成功法則に汎用性がないのは、「めんどくさい」がひとによって異なるからだ。

料理がめんどくさくてやりたくないという人もいれば、運動なんかしたくないという人もいる。

その反対に料理が大好きで一流の料理人やアドバイザー、インストラクタ―になったり、テレビに出演したり、本を出版したりして成功する人も多い。

いくつになっても運動が好きで、毎日10キロ以上走る人も少なくない。

「好きなことで生きていく」なんていうキャッチフレーズも流行ったとおり、だれもが少なからず「好きなこと」、つまり「その行為自体がたのしい、やっていてもつらくない。」など、成長が感じられたり、自分にとって意味付けができることは、結果的にながく続けることができ、成功にいたるケースも少なくない。

日本の経済が上向きだったころ(仕組まれたものだったが・・・)、多くの人間が大きな企業に就職することを人生の最重要事項に挙げていた。

そこには「やりたいこと」なんていう概念はなかった。

あったのかもしれないが、なりたいものの裏側にはかならず「お金」がつきまとっていた。

こどもの頃のなりたいものなんて、たいてい大人の期待する答えを用意していた。

それはとても恐ろしいことで、その嘘は実現してしまうのだ。

言葉は大きな力を持っているんだろう。

そうやって、だれかのために自分の人生を犠牲にすることは、めずらしいことじゃない。

自分の人生なんて言えるのは、いまの環境に恵まれているからだ。

本来、生物が生きるということは、その命を賭して命を繋ぐことだ。

その本来の目的が容易になってしまった時代にわたしたちは生きている。

そうして多くの本能が失われてしまった。

「才能」なんて言っていられるのは、自分に「才能」があると思っている人間だけだ。

微塵も思っていない人間はそんなことすら考えない。

そして、自分の才能を開花させたところで、よって来るのは、恩恵にあずかろうとするものだけだ。

自分ではリスクをとれなかった人間が、手の平を返したように群がってくる。

でも、そんなことはどうだっていい。

技術や知識なんてどうにでもなる。

生きるということを決定づけるのは、「魂」だ。

青臭いことをいう八日もしれないが、「魂」なのだ。

「魂」にウソをついて生きていては絶対に成功できない。

しかし、「魂」の声に沿って生きていくと、多大な困難や壁が立ちはだかってくる。

それも、何度も何度も、だれも味方なく、まわりは利用しようとしてくるものばかり、さらに、八方ふさがりで孤独になる。

でも、本気で生きていたら、死ぬギリギリまで追い込まれるはずなのだ。

本来、生き物は死のギリギリで生きていた。

生まれた瞬間に捕食されるミジンコ。

究極の飢餓状態にあり、やっと餌にありつけると思った瞬間に釣りあげられてしまう魚。

群れの中にいたはずなのに、逃げ遅れ、取り残されて狩られる草食動物。

とにかく、死は身近にあるのが生き物の宿命だった。

ところが、いま我々は、そうではない。

追い詰められてはいない。

かなり、何重ものセーフティーネットに守られている。

たしかに、お金がなければ、生きていけない社会ではある。

しかし、かんたんに低い金利でお金を借りることはできるし、破産しても死ぬわけではない。

親や家族、親戚は、恥だと罵るだろうが、死ぬわけではない。

そんな簡単には死なない世の中で、適職を探して成功をおさめようということが、どれだけ甘えたことなのかは言うまでもない。

それでも、自分の力を発揮する機会を諦める理由にはならない。

生まれた時点での環境が、自分の魂の声と一致するとは限らない。

好きな事と、やりたいこと、やらなければいけないことが魂と呼応することが一番望ましく、そのすべてが一致したときに本来の力が発揮される。

それ自体が、馬鹿げているという人間もいるだろう。

環境や才能にかかわらず、努力によって成功するという人間もいるだろう。

それは、少なくとも環境に恵まれているから言えるセリフだ。

何もないところから自分の力で集め、環境をととのえるところからはじめなければならない人間がほとんどだ。

遠回りと言われるが、そうしなければならなかっただけで、本人にとっては遠回りでもなんでもない。

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