誰かに認められるためにする努力ほどムダなものはない

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誰かに認められるためにする努力ほどムダなものはない

誰かに認められたい。

人間だれしも『承認欲求』

努力とはなにか?

とか、

成功するために必要なことは?

とか、

そんなんこと考えていること自体が幸せから遠のいている。




そもそも努力というのは、つらいことだ。

いまの自分に負荷(ストレス)をかけて行うことだ。

それでは長続きしない。




大切なことは『継続』だ。

一時的に思うようにいかなくても続けること。

しかし、つらいことをつらいまま繰り返すことはよくない。




つらいなら戦略的に考えて手間を省くことで、おなじ成果を得られるようにすることが必要なのだ。

つらい思いをしている自分にひたってはいけない。

つらい思いをし続けてもいいことはない。



おなじ成果が得られるなら、むだな努力はいらない。

むしろその時間と労力を、自分の本当にやるべきことにつかうべきだ。

運動はパフォーマンスを上げるために、くりかえしが必要かもしれない。




しかし、仕事においては、愚直さはいらない。

必要なのは、少ない時間と労力でより良い成果を出すことだ。



愚直にがんばれば評価されるのは、学生までだと言われるのはこのことにある。




仕事にひつような技術や知識は、習得するのに時間がかかる。

しかし、いちど身に着けてしまえば、以前より効率よくおなじ成果があげられる。




いまの時代、自動車を一から手作業だけで作ることはほとんど不可能だ。

しかし、工場では一台の自動車ができるのに16~17時間ほどだ。



これは、膨大な人々の知識や技術の向上があったからだ。

当たり前のことのようだが、愚直な努力とはこれができていないことだ。



努力は目的ではない。



目的があり、そこにたどり着くために必要になってくるだけだ。



目的や願望が明確なら、それは、本人にとってはつらい努力ではない。



みんな努力ができないんじゃない。



他のことを犠牲にしてもいいと思えるほどの目的がないだけなのだ。

目的はあるけど、なにもできていないという人がいる。

きっと、それは本当の目的ではないのだ。

ほんとうにやりたいことではないのだ。



ガマン強い人・優秀な人は、自分のほんとうの目的ではないことでもある程度できてしまう。

つまり、だれかに刷り込まれた目的にむかってがんばれてしまう。




ただ、ある程度はできたとしても、いつか、こわれてしまう。




家族のため、親のため、配偶者、こども、ともだち。

自分以外のためにがんばれることは素晴らしいことだ。




でも、他人に認めてもらいたいという目的だとすると、それは、叶わない可能性が高い。

単純にひとは自分以外のことには本当はあまり興味がないからだ。




たとえ、親子であっても、べつの人間であり、おなじ人生をずっといっしょについてまわるワケにはいかない。

じぶんの人生はじぶんしか体験できない。

だれかに認められたい、愛されたいという願望は、じぶんの意思ではどうにもできない。

認めるとか、好きになるとかは、相手の意思だから。

相手の人生を尊重できなければ、じぶんの人生も尊重できない。





だれかに認められるためにする努力ほどムダなものはない。

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