けっきょく、幸せは自分のなかにあって、それに気づけるかどうかということだった。

ものごころついたとき、自分の楽しいことをしているとき、どんなに世界が輝いていただろう。

それがいつの間にかまわりの人間の意見に耳をかたむけていくうちに、雑音が増え、楽しいことばかりをしていてはいけない。つらいことでも、がんばってやらなくてはいけないと、刷り込まれていった。

それは、絶対的に正しいこと、必要なことと教えられ、疑う余地もなかった。

ただ本当は、その子がやりたいことを伸ばしてやり、好きなことや集中できることで社会の何かの役に立つ、社会の歯車の一つとして、生きていける術を一緒に見つけてあげることが、まわりの大人の役割だった。

しかし、それはとても手のかかることだし、多くの子供に限られた時間で教えることは不可能だ。親にも仕事があり、生活の糧を得なくては生きていけない。

ただ、高度に複雑化する社会で特化した才能を開花させるためには、その子の適性を見つけてあげることが、なによりの幸せにつながるだろう。

もちろん学校の勉強や受験に適性を発揮する子供もいる。多岐にわたるスポーツに適性を持つ子供がいる。料理、芸術、音楽。もしかすると、まだ、この世界に存在していないことを発見する子供もいるかもしれない。

さらに、すぐに見つかる子供もいれば、人生を終える寸前まで才能が開花しない場合も多いし、開花しないまま人生の幕を閉じる人間がほとんどだ。

時代もあるので、生まれた時代が悪かったと片づけることもできる。

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