やりたいことなんてない。ただ、やりたくないことの方が多い現実。

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悩む少女

本当にやりたいことなんてありますか?

ある人は、もうすでにやっていると思うんです。

やりたいことを探すって、なんかおかしいですよね?

逆に、やりたくないことをやらなくて済むように、無理やりやりたいことを探しているんじゃないでしょうか?

しかし、それは決して悪いことではありません。

これまでも、人間は、やりたくないことをやらないで済むように、新しいものを作り出してきました。

長距離を歩きたくないから自動車を開発し、リスクを負って狩りをしたくないから田畑を作り、洗濯をしたくないから全自動洗濯機を作りました。

数えきれないほど、時間や労力を削減できるものを開発してきたのです。

でも、どうでしょう?

こんなにも、便利な世のなかになったのに、仕事がいそがしすぎて病気になったり、みずから命を絶ってしまう人もいます。

やりたくないことをやらなくて済むように便利にしてきたはずなのに、人間はまたやりたくないことやっています。

人間は、将来的にやりたくないことをやらなくてすむように、現在を犠牲にして我慢してやりたくないことをやっています。

でも、人間は結局のところ、ずっとやりたくないことをやり続けなくてはいけないのだと、気付くべきでした。

ここには重要なファクターとして、「お金」というものが介在しています。

お金があれば、やりたくないことはほかの人にやってもらうことができます。

しかし、お金は相対性をもっています。

同じ基準のなかにいる人間にとっては等価交換の法則が成り立ちますが、その法則の外側にいる人間もいるのです。

やりたくないことをやらずに済むようにお金が必要 → お金を稼ぐためにやりたくないことを我慢してやる → お金に縛られる → お金を持っている人間に支配される → 結果、やりたくないことをやらされるのです。

これが、暴力で支配されていた時代であれば、権力者や支配者の存在があきらかでした。

しかし、お金というものが介在することで、法則のなかにいる人間は、互いを支配しつつ支配される関係になり、法則の外側にいる支配者の思い通りになってしまったのです。

ちなみに、このお金の法則の外側にいる支配者の存在をとんど人は知りません。

その方が支配者たちにとっても都合がいいからです。

この世界の絶対的な法則はお金だと思い込んでいてくれた方が、好都合だし自分たちの支配に敵意が向けられることもありません。

ただ、彼らにとって一番おそれていることは、人々のお金への信用がいっせいになくなってしまうことです。

はなしは逸れてしまいましたが、つまり、なにが言いたいかというと、「過剰にお金に依存しな方が良いのではないか?」と、いうことです。

ほんとうに価値があるのは、あなたがやりたくないことを我慢してやっているそのエネルギーです。

そして、時間であり、労力です。

時間も必要ですが、労力も使いすぎると心身ともに病気などになり、なにもたのしめなくなってしまいます。

「お金がないと生きていけない」これは、半分正解です。

正確には、「命がないと生きていけない。」です。

お金がなくても、生きることはできます。

そして、生きるのに最低限のお金がなければ、支給されます。

自由は制限されますが、死ぬことはありません。

お金や権力によって他人を支配しようとする人間は、すくなくありません。

だれもが、多かれ少なかれ他人を利用しています。

この社会システムも悪いところばかりではありません。

お金の存在によって、どうしてもだれかの助けが必要な人を救うこともできます。

介護が必要な人に国の保障でお金をわたし、介護してくれる人に給料とすることができます。

どうしても、助けが必要な子供を広く救うこともできます。

お金は確かに支配に利用される側面もありますが、救いが必要な多くの人を早急に救うこともできるのです。

お金が介在しなくても、互いに助け合うことができる社会というものが理想ですが、それができる人間ばかりではありません。

「お金」=「生きるために必要なもの」=「自分や大切なひとの命」という構図であれば、多少の無理をしてでも、他人のために無理できます。

つまり、やりたくはないけど、だれかの役にたつことをやれるのです。

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