努力は必要なのか?
苦しみながらやらないといけないことは、本当に正しいことなのか?
やっていることを努力と言ってしまった時点で、その行動は成功にはつながらないのではないか?
いやなことでも我慢してやれという風潮もある。
生きていくためには、食料をとったり、水をくみに行くこともひつようだ。
ただ、意味もないこと、やりたくないうえに、やる理由も感じられないことを努力しろと言われても無理だ。
人から見たら、努力しているように見えても、自分ではそれほど頑張っているわけではないのに結果が出ること。
それを見つけなければならない。
勉強やスポーツなどに当てはまる人は、かんたんに見つけられるかもしれない。
しかし、見つけられなくても探すことをあきらめたら、苦しんでいやな努力をしなくてはならない。
もしかすると、それは、多くの人には評価されず、お金にもならないかもしれない。
ただ、自分では楽しみながらできる努力が見つかったとき、どうにかして価値を作っていくべきだ。
絵が得意なら、売れるまで、誰かに必要とされるまで頑張るべきだ。
文章や物語を書くことが好きなら、それも、同じだ。
ダンスかもしれないし、歌かもしれない。
既存のものならいいが、まったく、今までは価値をつけられていなかったものかもしれない。
だから、作ればいい。
ひとが、必要としてくれて喜んでくれるのなら、それが、価値だ。
たまたま、先人の作り上げてきたものが得意なら、はなしは早い。
でも、多くの人にとって、そうではない。
やっていて苦ではなくて、投下時間のわりに人よりもできること。
そして、より高みを目指せるもの。
その結果、だれかの利益になること。
もしくは、現況のままでは、価値がないなら、育てられること。
それを見つけることをあきらめてはいけない。
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