絶望からはじまる、あなたの人生

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絶望

人生においてなにができるかなんて馬鹿げてる。ほとんどの人はなにもできずに一生を終えていく。若く、可能性が無限大にあったころ。努力は報われ、自分は何者にもなれると信じていた。

恵まれた環境にいるものほど、人生の理不尽さや、不平等さに気付くのが遅れる。そして、ある程度、年齢を重ねたころには、大きなその思い込みに押しつぶされそうになる。そして、それを絶望なんていう人もいる。

絶望の度合いは人によって違うだろうし、ぜんぜんそれでいい。ただ、この人生に希望がないとわかってからが、本当の始まりなのだ。

努力と希望はいつもセットだった

努力はつらい。まして、若いころはやりたいことを我慢してまで、つらいことを強制的にやらされる意味が理解できない。

勉強、スポーツ、家の手伝い、バイト。

あげれば、キリがないが、大人になってからのそれとはくらべものにならない。なぜなら、子供のうちは、努力の先に必ず、希望があったからだ。

努力すれば大人が保障してくれた。勉強でいい成績をとれば、認めてもらえたり、スポーツなども同じだ。

つまり、ある程度、何かを頑張れば、報われたのだ。社会に出てからも、この教えは、大変役に立つ。やりたくないことを我慢してやらなければならない時に、その先には、報われる何かがあると、信じることができるようになるからだ。

それらのつらい作業が、いっさい自分にメリットがなかったとしてもだ。

つらいことでも、我慢して、努力していれば、誰もが、報われる。

そんな幻想を刷り込むために、その教訓はあるのだ。

成功者はほんの一握りだ。

ほとんどの人間は、死に物狂いで努力しても、時の運や、環境、才能、身体的特徴によって、挫折する。

方や、そこまで努力しなくても、それらの条件がそろえば、成功できる。最初から、決まっている場合も多い。

その真実は、人間を同じ方向に向かせて統率するには、都合が悪すぎた。

誰も、つらい思いをしてまで、他人のため、社会全体のためにがんばることをしなくなってしまうからだ。とくに、若く、体力も頭脳も充実しているときに、自分のことしか考えない人間が量産されてしまったら、文明はここまで、発展しなかった。

とても、いい社会システムだ。

ただ、どんなシステムにも弊害はともなう。

頑張れば、いつか報われると信じて生きてきた人間は、ある日、突然、気付いてしまう。

『努力しても報われない。』ということに。

どんなに努力しても、あなたは報われないまま死んでいく

こんな残酷な真実を受け入れられるだろうか?

とくに、20代30代のころにこの真実を理解して、社会にとって何のメリットもない。自暴自棄になって、仕事をしない人間と自殺者だけが増えるだけだ。

とくに子供なんて、完全に精神を病んでしまうだろう。いや、大人でも、耐えられない。耐えられないのだが、ある日、突然、分かってしまうのだ。

このことを理解するまでに、絶望に慣れておくことをお勧めする。よく、エリートは、一度の挫折でかんたんに折れてしまうといわれる。いくら、勉強やスポーツができて、素晴らしいレールに乗っていたとしても、それは、あくまで、人間が作ったシステム上で評価されているだけだ。

生きていくということを、すべて克服できたわけではないのだ。病気にもなるし、大きな災害に見舞われるかもしれない。配偶者が愛想をつかして出ていくかもしれないし、相性の悪い同僚や隣人に悩まされるかもしれない。

そして、多くのことが努力だけでは解決できないまま、死んでいくだけだ。そんなものなのだ。

いきなり、無邪気な子供に踏みつぶされて死んでいくアリと何ら変わらないということをもう一度、理解する必要がある。

絶望からはじめる本番人生

いわば今までの人生は、『頑張ることで、報われるんだよ。』という、エセ教訓によって思考を支配されてきた。

つらいことでも我慢しなさい。勉強も運動も、今はつらいかもしれないけれど、将来、かならず、幸せになれるから頑張りなさい。本当に、これでもかというほど刷り込まれてきた。

ただ人生は、なるようにしかならない。必ず、幸せになれる保証をしてくれるひともいなければ、神様もいない。

老いていけば、病気になって、いずれは、かならず、死ぬ。これは、保証されなくても、命あるものは必ずそうなる。

どんなに、運のいい人でも、成功者でも、死だけは平等に与えられる。死についてはここで語り切れないが、これは、すごいことだ。

話しはそれたが、何が言いたいかというと、今まで努力したり、頑張ればかならずとまでは言わなくても、いつか幸せになれると思っていた人間が、その『努力教』の教えを否定したときに、そこから、何を考えどうするかということだ。

自暴自棄になって、社会や他人に迷惑をかけたり、本当に絶望してしまい、命を絶ってしまうかもしれない。それも、真実のひとつだ。

でも、多くの場合、そうはならない。

今までの人生の慣性もあるだろうし、落ち着いて見渡せば、そんな自分のまわりにも守りたい大切な何かがあるかもしれない。

そんな、残酷な真実のなかを生きてきたはずなのに、大切なものをすでに手に入れているのかもしれない。

そして、それらを失わないために、あなたは、また、努力して、がんばっていくのだろう。

その方法しか、まだ、知らないから。

ただ、本当に、その大切なものを守り、未来につなげていきたいと思うのなら、誰かに与えられた『盲目的な努力』だけを武器に戦うことはあまりにも愚かすぎる。

思考停止して、努力すれば、いいということは、信じる者は救われるということと同じだ。なにもしないで、毎日、お祈りしていても、お金は降ってこない。

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