金のために奴隷を演じるな

もう、いろんなことを我慢してきた。

そんなの我慢のうちに入らないとか、全然努力が足りないとかいう人間はいくらでもいそうだが。

商売は確かにお客様ありきだ。

でも、こっちの尊厳まで傷つけられてまで仕事するぐらいなら、俺は稼げなくて死んだほうがましだと思う。

自己中心的な人間。

そんなテイカーをまともに相手していたら、時間なんていくらあっても足りない。

たしかに、線引きは難しいのかもしれない。

しかし、奴隷にはなりたくない。

金のために奴隷にならなくちゃいけないのか?

それは、圧倒的に俺自身に価値がないからじゃないのか?

ありのままの自分で評価される人間も大勢いる。

俺みたいに、自分を下げて下げて相手にこびへつらい、わずかな金を得る。

やってることは、乞食と一緒だ。

そんな自分を演じているうちに、どんどん自分に対する尊厳を失っていって、結果市場価値が下がり、困窮しているのではないか?

尊厳よりも金。

たしかに、プライドではメシは食えない。

ただ、長期的に見た場合、卑下した自分を演じることですり減らしていった自己評価は、金を得る価値を残しているのだろうか?

多分、こんな生活を続けている限り、ここから抜け出せない。

自己評価が、低いままでは結果的に最終的な収入は増えないのではないか。

収入が上がらないパラドックスだ。

つまり、自分を下手においたほうが相手は気分がよくなり、その気持ちの良さから小銭を払う。

ホテルマンや店員、サービス業全般で働く人に多い。

ただ、この方法はもろ刃の剣であり、信念がないと、見る見るうちに自尊心を失っていく。

奴隷のように振舞うことによって、自己評価が本当に奴隷並みになってしまうからだ。

そんな奴隷になってしまったら、人よりも多くのお金を稼ぐことは矛盾してしまう。

お客様にとって奴隷のように尽くすことが、あなたのお金を稼ぐ方法になってしまったら、そのお客様より多くのお金を得ること自体が矛盾してしまうからだ。

相対的に自己評価の低い人間は、多くのお金を稼ぐことはできない。

どうしても他人より自分を相対的に低くしておかなくてはならないからだ。

なぜなら、お金は、相対的なものだからだ。

そもそもこの世界は相対的なものなのだ。

量子が一つ以上存在が時点で、相違が生まれ、観測者が相対的に見た時点で、存在が認識できる。

人よりも多くの金を持つことで、金は力を持つ。

小学生が、10万円を持っていたら、まわりの友達にいうことを聞かせることができるかもしれない。

ただ、大人が、10万円でまわりの人間を利用しようとしたら、1か月も雇えない。

金は、ただの数字だ。

ただ、多く持っているものが、持たざる者を支配できる。

まわりが100円しかもっていないなら、自分がその何倍かの金額を持っていればいい。

金は人間のパワーバランスだ。

自分を奴隷のように卑下することで、他人を気持ちよくし、金を得ることは簡単だ。

それは、努力しなくていいし、ずっと、底辺の人間でいる正当な理由にもなる。

ずっと、底辺にいればいいだけだから、楽できる。

しかし、それを続けていると、現状維持どころかどんどん自分の価値は下がっていって、しまいには死んでしまうだろう。

この決断は、破滅をもたらすかもしれない。

家族も失うかもしれない。

ただ、自分を卑下し続けることは、結果的にこの世界すべてを否定することだ。

そんなに、自分を傷つけて人は幸せになれるのだろうか?

自分を卑下しながら生きることは本当につらい。

もう、死にたいとさえ思う。

毎日、思う。

すごい人間から見たら、ただの甘えなんだろう。

でも、頑張っている人間を裏切ったり、ぞんざいに扱うことは肯定できない。

だから、一歩ずつでもいいから、急に変われなくてもいいから、もう一度、自分のために生きてもいいんじゃないか?

すべてを失ったとしても、ゼロになったとしても、もう、自分に嘘をつき続けて生きていくのは疲れた。

自尊心を取り戻すこと。

元の気を取り戻すこと。

自分を偽って、奴隷のように卑下して生きていくことをやめること。

その結果、金を得ることができなくなっても後悔しないこと。

奴隷が恵んでもらうような生き方をするぐらいなら、死ぬこと。

生きることをあきらめること。

家族を幸せにすることをあきらめること。

生きることに貪欲になりすぎないこと。

死と尊厳を天秤にかけた時、迷わず尊厳を選ぶこと。

礼儀は尽くしてきた。

相手の尊厳は尊重してきたつもりだ。

だが、相手がこちらの尊厳を無視してきた場合、相手がどんな社会的地位にあろうとも、どんなに金を持っていようとも、傷付けられるいわれはない。

俺は、可もなく不可もないが、それでも、一人の人間であり生命だ。

その命の在り方を決めるもの自分自身だ。

もう、必要以上に奴隷になることはやめよう。

それで、生きていけなくなっても仕方がないのだから。

生きることを、幸せになることを、自分以外のまわりを幸せすることをあきらめよう。

すべて背負い込むこともやめよう。

それで否定されても受け入れて死のう。

もうこれ以上、人に尽くせないから。

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