検索エンジンを使えば、ありとあらゆる情報は手に入ります。
しかし、インターネットが登場して間もないころから言われていたように、本当に必要な正しい情報を得ることはいまだに困難です。
無知な人から、お金をだまし取ろうと画策している人もたくさんいて、詐欺に近いような情報を見かけることも珍しくありません。
欲望のはたらき
いつの時代もビジネスというのは、人間の欲望を映し出してきました。
欲望と聞くと、イメージはあまり良くないと思いますが、現状に不満を抱きそれを改善することが根本にあったと思います。
冬の寒さから身を守るために服ができて、夜の暗闇を恐れないように照明が生まれ、遠く離れた人とも意思疎通ができるように通信技術が誕生しました。
今現在、みなさんは生活においてどれだけ不便を感じていますか?
僕は、ほとんど普通に生活する分には大きな不満はありません。
それは、本当に幸せなことだと感謝しています。
先人たちの知恵や努力によって、便利なものがあふれ返り、それも毎日のように改善され続けています。
しかし、世の中が便利になればなるほどに人間の欲求は満たされていきます。
ある程度人間の欲望が満たされてしまうと、(社会が成熟してしまうと)誰もが簡単に価値を生み出しにくくなってしまいます。
現に、今は家から一歩も出なくても生きていくことも不可能ではありません。
インターネットを使用して情報を扱えば、文章や絵といったコンテンツを他者に提供できますし、電気、ガス、水道も完備されています。
必要なものがあれば、ネットで買い物することもできるでしょう。
もちろん、こういった便利な環境やツールの裏側には、今この瞬間にも実際に体と頭脳を働かせて動いてくれている多くの人たちがいることも忘れてはなりません。
ただ、これらの多くも今やAIやロボットの進化によって、自動化されてしまうでしょう。
究極の便利さとは、人間が一切労働しなくても生命維持していけることだと思います。
それは、まだはるか未来の話なのかもしれませんが、着実に一歩づつその未来へと歩を進めているのも事実です。
いまはまだ過渡期にあるとしても、ビジネスを生み出す機会が減少してくるのは必然です。
もうすでに満ち溢れている便利なものを少しだけ改良して新しく売り出したとしても、間に合っているので、わざわざ高いお金を出して買おうとは思いません。
現在の生活を維持していくためのライフラインや、食料などは安定して提供していく必要があるので需要がなくなるとは考えにくいです。
しかし、初めてテレビや冷蔵庫、洗濯機などが販売されたころのような改革的な製品は生まれにくくなってくるのではないでしょうか?
適度な利便性
情報革命と呼ばれたインターネットを使ったビジネスは、まだ記憶に新しいものです。
しかし、人間の生活に絶対に必要不可欠なものだったのでしょうか?
産業革命と呼ばれた生産体制の機械化も、本当に人間が生きていく上で必要なことだったのでしょうか?
このまま、社会が便利になり続ければ、いずれ人間はストレス耐性を失います。
冬の寒さに耐えること、空腹に耐えること、暗闇の恐怖に耐えること。
これ以外にもさまざまなストレスから解放されてしまえばしまうほどに、人間はわずかなストレスにも過剰に反応するようになっていくでしょう。
もちろん、過剰なストレスが良いと言うつもりはありません。
しかし、現にストレスによるアレルギーも確認されています。
ストレス社会、ストレス社会と言われますが、環境は昔よりも整い、生活していく上でのストレスはむしろ減ってきていると思います。
環境によるストレスが減少しているのに、どうしてストレス社会などと言われているのでしょうか?
人間関係?長時間労働?
もし、これらが人間の生命維持に大きく関わってくるのであれば、これ以上の人類の進化は身を滅ぼすことになります。
原始的なストレス
原始的なストレス。
たとえば、空腹であったり、寒さや暑さ、過剰な肉体労働。
もちろん、人間の生命維持を阻害しているのはストレスだけではありませんが、原始的なストレスは一歩間違えれば死に至ります。
現代のストレス。
たとえば、人間関係であったり、長時間のデスクワークなどは、直接、人間の生命活動を害するモノとは考えにくいのです。
確かに、人間関係のトラブルで暴力に発展して殺害されてしまうこともあるでしょうし、長時間イスに座っていることでエコノミー症候群のような症状で亡くなってしまうこともあるでしょう。
しかし、それが直接の死因になることはありません。
ほとんどの場合、自殺という形にあらわれてしまいます。
ここからは、推測ですが人間は生まれた瞬間からストレスにさらされています。
(現に赤ちゃんは生まれて間もなく泣き出します。)
しかし昔に比べて、その後のストレスはかなり少なくなっていると思います。
何日も食料が無いということもありませんし、家が無くて寒さに凍えるということもありません。
欲しいものはある程度買い与えらえますし、両親の愛情も大いに受けられます。
(もちろん、みんながそういうわけではありませんが・・・)
そして、そのまま大人になるにつれて少なからず、ストレスを受けて行くでしょうが、昔の比ではありません。
そうすると、人はなるべくならストレスを受けないようにしていこうとします。
当然、人間関係もストレスの一種なので、それもできることなら避けたいと思います。
すると、今度は過剰に人を避けるようになり孤立していきます。
こういった悪循環が、現代の若者には多いのではないでしょうか?(みんながそうと言うわけではありません。)
結論
世の中が便利になればなるほど、人間のストレス耐性は落ちていきます。
それは、大人になってからどうこうなるものではなく、生まれた瞬間から始まっています。
それは、社会全体の進歩によって左右されてしまいます。
個人がいくら原始的な生活を送ろうとしても限界がありますし、かわいい我が子に苦労をさせることにも疑問を感じてしまうでしょう。
たしかに、現代の日本における生活水準は世界的に見ても上位に入ります。
しかし、それだけでは、人間は原始的なストレスを取り除くことができても、幸せを感じることができなくなっています。
むしろ、将来への不安を抱え、どうにか自分は損しないように必死に戦っています。
そこに、こころの安息はありません。
欲しても欲しても、まだ何か足りなく、失うことへの恐怖が大きくなっているのではないでしょうか?
コメント