望まない人生であっても、変えることはできない。

これだけ頑張って、やりたくないことで金を稼いでも、どんなに我慢しても、現状は一向に改善されない。

状況も変わらない。

おそらく、ずっと死ぬまでこの状況は変わらないのだろう。

努力すれば、頑張れば、知識をつければ、手に技術を持てば、いろいろ言われているけど、おそらく、何をしたって、本当は、何もよくならないんだろう。

もうだまされない。

真面目に、コツコツ努力してれば報われるなんて誰が言ったのか?

クライアントは神様で、どんな無理難題も対応するべきなのか?

それにがんばって答えていれば、いつか大金を得て、幸せになれるのか?

全部、大嘘だ。

クソな人生を歩むシナリオはどんなに頑張っても変えられない。

その最悪のシナリオを消化していくことでしか、生きていけない。

努力すれども報われない。

むしろ、報われようと努力して、我慢するほど泥沼にはまっていく。

死期が早まるだけだ。

じゃあ、最悪なシナリオは変えられないのか?

そう、変えられないのだ。

その前提を受け入れることで、初めて自分の現実と向き合える。

「いま」という時間を犠牲にしていれば、いつ来るともわからない、なんとなくの幸せを享受できると思い込むこと。

このこと自体に意味がない。

未来のために今を犠牲にすること。

そんな思考でいたら、いつまでもその未来は実現されない。

ただ、思考を変えれば、いつでもこの瞬間を幸せな今にすることができる。

つらく、努力することが人生だと思いたいなら、死ぬまでそう思っていればいい。

あえて、もう一度言おう。

シナリオは変わらない。

目の前に起こること、事象は変わらない。

金持ちにはなれないし、宝くじもあたらない。

爆弾は落ちてこないかもしれないが、いつも金がない状態は続くだろうし、鬱状態や心配事によるノイローゼも消えないし、治らない。

家族は理解できないし、尊重されることもない。

クライアントはわがままだし、そのうえ、報酬はすずめの涙程度。

そのくせ、要求だけは、大きくなる一方。

旅行にも行けないし、きれいな服すら買えない。

旨いものも食えないし、適度な運動もできない。

何しろ、最低限の人権や健康、文化的な生活なんてできない。

子供に、十分な教育や生活もさせてやれない。

本当に、クソ中のクソ。

そんなクソが、歩むシナリオなんてもちろん最悪。

苦しみとストレスしかない。

それでも、死なないから生きているだけだ。

死ぬのは痛いし、苦しそうだから死なない。

これだけ、地獄のようなシナリオしか待っていなくても、死ねないから淡々と一日一日を死に向かって消化していくだけだ。

だけど、そんな俺でもバカにされたら、ぞんざいに扱われたら、もうその相手には、人として対応できない。

それぐらいの反抗はさせてくれ。

どうせ、クソみたいな人生を歩むしかないんだから、最後の尊厳だけは持たせてくれ。

それすらなくなったら、ほんとに死んでしまいそうだから。

変わらない現実

どれだけ俺たちは刷り込まれてきたのだろう。

何かをすれば、現実をよりよくできると。

何かを成してきたから、今の現実があるのか?

何も成してこなかったから、今の現実しかないのか?

人類全体でみれば、人口は増えているし、寿命ものびた。

でも、俺は、生まれてこのかた不安が消えたことはないし、老いるごとに絶望感だけが大きくなってきた。

そして、どんなに頑張っても、ほとんどの現実は変えられないし、変えるには圧倒的に時間が足りないということも理解した。

そして、毎日、その絶望的な不安に押しつぶされそうになりながら、地獄のような抜け出せない日々を送っている。

このどうにもならない現実を変えることもできないと知りながら、それでも生きていくのことは本当に苦しい。

ただ、現実を変えられると思っていたころよりは、成長できたのか?

それが退化なのか、進化なのかはわからない。

少なくとも、盲目的に未来はよくなると思っていたころよりは、現実を少しだけ正確にとらえられるようになったと思う。

過去はもちろん変えられない。

それは、誰もが知っている。

でも多くの人間が、未来は今の行動や努力でよりよくできると思っている。

でも、それが、絶対的な法則なのだろうか?

今、苦労をしておけば、未来は必ず明るいものになるのだろうか?

それは、あまりにも無責任な教えなのではないだろうか?

でも、より良い未来を餌に、今を我慢させて、都合のいいように動かすことはできる。

それが、本当のことではないのか?

子供が、好き勝手遊びまわって、社会に迷惑をかけるよりも、夢に向かって励むほうが都合がいい。

大人にしても、毎日、何もせずにいるよりも、有事に向けて、健康であり、知性的であったほうがいいし、社会にとっても、利益がある。

ただ個人にとっては、それが必ずより良い未来につながるわけではない、ということを教えないと詐欺だ。

今を頑張っていれば、より良い未来になるのは全体にとってであり、むしろ個人にとっては、今という時間を犠牲にするだけで、必ずしも個人が報われるわけではないということだ。

自分の人生をよくしたいという幻想は捨てよ

残酷なようだが、いま人生を楽しい、幸せだと感じられていないものは、死ぬまでそのままだ。

そして、そんな現実を頑張れば変えられるということも幻想だとわかった。

そして、死ぬこともできない。

その場合、ただ、つらいだけの人生を一日一日消化していくしかないことも理解できたと思う。

さらに、いつ大病を患うともわからないし、あっけなく事故で死ぬかもしれない。

厄災はとめどなく押し寄せているし、早かれ遅かれ、日本経済、いや、国の存続も危うい。

第二次世界大戦の災禍は個人の努力では変えられなかった。

あらゆる自然災害も、個人がどんなに体を鍛えていたところで救えた命は変わらなかった。

レスキュー隊も自衛隊も事後処理しかできなかった。

どんなに個人が一生をかけて頑張っても、現実には何の影響も及ぼさない。

世界は変わらない。

自分の人生すらよくできないのだから。

解決策は・・・

こんな絶望的な人生。

そんな人生をそれでも変える方法、人生をよくする方法はあるのだろうか?

おそらく、そんなものはない。

ないと知ることが唯一の解決法だ。

今のところは・・・。

人生の悩みに対するライフハックは山ほど手に入る。

それなのに、人生に悩み疲れる人は増えているようだ。

つまり、本当に、人生を努力や知識で改善する方法はなさそうだ。

当然、何もしなくても変わらない。

変わらないと知ったうえで、することは、本当にやりたいことなのかもしれないが、それでも、人生は変わらない。

よくはならない。

諦めるしかない。

苦労することや、我慢すること、やりたくもないことをやって小銭を稼ぐこと、何を頑張っても人生は自分が思う良い方向には変わっていかない。

それらを推奨するうたい文句があったら、新興宗教の勧誘か、自分の都合のいいように利用しようとするやからだろう。

親切心からいう親や教師などもいるかもしれないが、それは、環境に恵まれた人間の無責任な発言ぐらいに聞き流したほうがいい。

とにかく、そんなことで人生は、よくならない。

そんなことで、人生が良くなるなら、差別やいじめ、人身売買や幼児虐待など、起こらない。

どこまでいっても、人生は、残酷だ。

格差は、当たり前。

寿命も違うし、資産も異なる。

そういった、差異は個人の努力程度では変えられない。

冷静に考えれば何も難しことではない。

それなのに、人は、惑う。

頑張れば、人生が良くなると。

少なくとも、俺はそう理解している。

なんの救いもないのが人生だ。

もう、無責任なキャッチコピーには騙されない。

ただ、死ぬ日まで生きるだけ。

ただ、日々を観測するだけ。

それが、人生だ。

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