思想

矮小なプライド

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誰に認められたいのか

今年、自分は36歳を迎える。

ちなみに、父は62歳で亡くなっている。

寿命を比べるつもりはないが、遺伝というものが大きく関係するなら、自分に残された人生もそう長くないことがわかる。

 

悲観的な話をしたいわけではない。

むしろ、残された時間をどう生きたら幸せなのか、何を成し遂げたら死ぬとき満足した気持ちで逝けるのか、そんな、建設的な話をしたい。

 

まずは、昔話を少ししておきたいと思う。

自分は、高校に上がるまでは、勉強は得意な方で、スポーツも好きではないが、それなりに結果も残していた。

進学したのは、県内でも学力においては1,2を競う学校で、自分は推薦枠で入学した。

特別、頭の回転が速いタイプではなかったが、クソが付くほど真面目に生活していたので学校からしてみれば、模範としておくのに都合の良いモデルだったのだろう。

ただ、子供にしては人に気に入られるように演技するのが比較的得意な方で、忍耐力もあったほうなのかもしれない。

しかし、そんな中途半端な奴が入学直後に味わうことになったのは、紛れもない『挫折』の二文字だった。

 

周りは、優秀な人間ばかり。

演技で取り繕えるほど、求められる勉強量は少なくなく、推薦で合格した後、遊び呆けていた自分が追い付けるほど、授業の進みは遅くなかった。

少し、やれば勉強もスポーツも人並か、それ以上にできていた自分にとっては、人生初の経験だった。

そんな人間は、一度つまづくと立ち上がり方を知らないので、ズルズルと底辺まで落ちていくのに時間は掛からない。

恥を覚悟で書くが、なぜ、あの時、もう一度前を向く勇気がなかったのか。

どうして、あんなに早く諦めてしまったのか。

もっと、自分の限界まで挑戦してみなかったのか。

それが、勉強であっても、スポーツであっても、逃げてばかりいたのか。

真剣に向き合わなかったのか。

むしろ、何をしていたのか。

そうクソみたいな矮小なプライドが、邪魔をしていたのだ。

勝てない勝負なら土俵にも上がらない。真剣にやって、また心がズタボロになってしまうのが怖かったのだろう。

自分を守り過ぎていたのだろう。もっと、ガムシャラにぶつかっていって、滅茶苦茶にやられてしまう方が良かったのに・・・。

そして、自分が得意だった勉強で負けてしまうのが嫌だったので、あえて、勉強しない自分を演じて、劣等感を誤魔化していたのだろう。

一番の後悔は、一番力のある年代に、一円の価値もないプライドを必死に守るために自分に嘘をついていた事だ。

 

しかし、よくよく考えてみると、今も根本的な性格は変わっていないのかもしれない。

本気で一生懸命やって、失敗するのが怖いのだ。

もっと言えば、失敗自体が怖いのではなくて、自分の人間としての価値が下がってしまうのが怖いのだ。

本当に器の小さい人間だ。

その時点で、かなり人間性が低いということなのに・・・。

人から認められないことへの恐れ。

本当の自分がバレてしまうことへの恐れ。

何が本当に恥ずかしいのかと自分に問えば、「負けないように逃げること」「失敗しなかったように見せること」、偽りの自分を演じて生きる辛さ、「このぐらいでいいか」と言い聞かせ適当に生きることだった。

自分はどう生きて、どうなりたいのか。

自分を隠そうとすればするほど窮屈になっていく・・・

 

 

 

それでも前へ

過去の教訓を今に生かすとすれば、『ボロボロになりながら、何度も踏みつぶされて無様な恰好を晒そうとも、今まで一番頑張ってきたことをゼロに戻されようとも、逃げないこと。むしろ、今まで以上に頑張ること。』

頑張っていれば、必ず報われる。そんなことは無い。

そんな単純な世界だったら、みんな幸せだ。

頑張っても頑張っても死ぬまで報われない。そんな人間はたくさんいる。

頑張ることさえ許されない人間もいるだろう。

負けて、負けて、認められなくて、情けない姿しか見せられなくて、カッコ悪い自分に嫌気がさして、本当に逃げたくなっても、生きてる限り諦めない。生きることに手を抜かない。

必ず、後悔するから。

 

とにかく、結果や見てくれがダサくても、他人にどう思われようとも、自分の心の底の願望に嘘をつかず、ただ、やるべきことをやる。

そして、もう動けなくなって、何も考えられなくなった時、そう死ぬ間際に、はじめて本当の自分がどれほどのモノだったのか分かるのだと思う。

死ぬまでやり続けて、逃げずに立ち向かい続けて、やっと、『ここまでか。』と、諦められる。

少なくとも、自分はそうありたい。

 

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