思想

価値とは何なのか

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等価交換

人生とは時間であり、時間とは限られたものである。

だから生物は、遺伝子という素晴らしい発明をした。

子孫を残すことにより身体の構成情報を、革命的に改善する方法を得たのだ。

環境に順応するために、二つの個体がより適応した構成情報を参照し、統合し、再構成して個体では不可能なアップデートを行う。

それを、繰り返すことにより、生物は現在も繁栄できている。

地球だけのことで言えば、場所によって、環境は異なり、海と陸では更に大きな隔たりがある。

もし、進化が環境依存だとすれば、こんなにも多くの種は必要だったのだろうか。

例えば、自分の周りを想像してみてほしい。

日本というそれほど環境に差のない場所でも、鳥から、昆虫から、犬、猫まで、全く違う生物が存在している。

もし、進化に影響を与えるものが環境にだけ依存しているならば、どうして、こんなにも多くの種が必要だったのだろうか。

 

身体という物質的情報は遺伝するのに、記憶のような電気的情報は遺伝しない。

そもそも、記憶というものをコンピュータのハードディスクのように半永久的に保存していると錯覚しているのかもしれない。

人の記憶とは曖昧で、常に入ってくるインプットの情報により形成されている。

確かに、常に細胞分裂を動的に行っている体の中で、記憶を留めておく細胞だけが存在し続けているのは不自然だ。

それに、この小さな脳だけで、生まれてから今までの記憶を保存していたら、とっくにパンクしているだろう。

有用性の高い記憶だけ残して上書き保存しているという説もあるかもしれないが、その有用性を決定付けているのも記憶なのだ。

例えば、ある風景が記憶の中に明確に残っているとしたとき、果たして、その時嗅いでいた臭いや、聞こえていた音なども完全に覚えているだろうか?

ほとんどの人が NO と答えるだろう。

ニオイから情景を思い出すという話もあるが完璧ではない。

そうなると、記憶とは何で、どんな形で存在しているのか?

仮定ではあるが、現在進行形であると考えられる。

つまり、常に記憶は止まってはおらず、膨大なインプットの情報を刹那的に流動させているのではないだろうか?

つまり、テスト勉強などで覚えたと思っている情報は、脳の一ところに留まっているのではなく、わずかにインプットの情報の影響を受けながら、流動的に電気信号として脳の中を他の電気的情報と動的に形成されている。

つまり、電気信号が止まった時、記憶は存在できなくなり、消去される。

ハードディスクというよりは、メモリに近いのかもしれない。

本末転倒なことを言うようだが、記憶とは物質的には存在していないのだろう。

もし、物質的に記憶というものが存在しているなら、DNAの螺旋構造に書き込まれているはずだ。

しかし、記憶は遺伝しない。

記憶とは進化の過程においてそれほど重要ではないか、もしくは進化を妨げる可能性があったのかもしれない。

 

人生は不平等

当たり前のことだが、人間は生まれながらに不平等だ。

しかし、生物学的には多くの場合、個体差にそれほどの差はない。

差があるとすれば、生まれた家や、時代、親の持つ権利や、金といったところか。

つまり、現代においての格差とは言うまでもなく、金を持っているかいないかだ。

もちろん、人間という種の中だけの美的感覚によるルックスの優劣も大いに影響を与えるが、ほとんどの場合、それが価値を成すのは30代までだ。

その後の人生の方が、はるかに長い。

人生の後半で頼りになるのは、権力と金だけだ。

見た目は衰え、頭は回らなくなり、最悪、痴呆症もはじまってくれば、人格やアイデンティティの崩壊も余儀なくされる。

そうなる前に、できる限りの金と権力を手に入れておかないと、人生の後半戦は、多大なハンディを背負うことになる。

しかしながら、現代のようにここまで貧富の差が拡大してしまうと、生まれながらに与えられた環境条件を覆すのはかなり難しい。

家庭の経済的理由で、才能を開花させられない子供たちのなんと多いことか。

その中には、人類の発展に多大な力となる天才的な才能をもった子供たちも少なくないだろう。

そんな、人類の機会損失を是正しようと、世界ではさまざまな試みが行われている。

難民の受け入れや、孤児の保護も当然行われているが、北欧のある国では、子供の教育費は全国民で大学まで負担する。

日本にも、『 子は宝 』という言葉はあるが、なかなか大学の費用までは負担できないのが現実である。

 

そして、人間は基本、苦痛を避ける

人間は、なるべくなら、辛い思いをせずに幸せになりたい。

現代においての幸せのほとんどは、お金で買える。

お金で買えるのだが、ほとんどの人間は先に他者へ価値を提供することでしかお金を獲得できない。

そして、提供するべきものは時代の進歩とともにハードルが上がっていく。

大企業のように、たくさんの人間の力を集結し、その成果物を蓄積し続けているところは付いていけるが、個人が簡単に提供できるものには限界があり、このまま社会が発展すれば、どんどんそれは難しくなっていく。

 

例えば、医師や、弁護士、保育士、看護師、美容師、理容師など、個人の技量が必ず必要なものは、もうしばらくは仕事を失うことは無いと言われている。

もちろん、他の仕事においても同じことが言えるが、どうしても基礎を習得するのに時間がかかり、更には新しいこともどんどん勉強しなくてはいけない。

専門職は、判断基準や技術が複雑過ぎるのだ。

これらの仕事は専門性が高い分、一人前になるには一生のうちの一番活動的で多感な時期を習得に費やさなければならない。

20代で社会に出て初めて仕事をし、30代で個人の技量が成熟し、40代で後継の育成に入り、50代で仕事を引き継ぎ始め、60代で引退する。

なんと人生の短いことか。

どんなに否定されようとも、明らかに個人は社会全体のため、延いては人類の繁栄と永続のために生きているのは明らかである。

この大きな仕組みを変えることはできない。

何億年も続いてきた生命の営みそのものを意味しているのだから。

 

 

本当は、個人の幸せのために生きているのではなく、人間のトップ、もしくは富裕層、むしろ、自分以外の人間のために生かされている。しいては、人類全体の繁栄と生存のために生きている。

アリやハチなど、良い例だと思うが、彼らは自分の命を犠牲にしてでも女王を助け、個体の遺伝子よりも、種の繁栄のために生きている。

いや、生かされていると言った方が正しいのか。

人間もどんなに個人の能力を磨き、自分の利益のためだけに生きようとも、その結果が他者のためになれば成功するし、そうでなければ衰退する。

人間の歴史はそれを物語っている。

人類全体、他者のためにならなければ継続すること自体難しい。

もともと莫大な資産でもあれば別だが、価値あるものを作るには無論、お金が必要になる。

お金は、価値あるものを提供しないと獲得できないのだが、現代において個人が開発できる価値あるものは限界にきている。

分かりやすいところで言えば、このIT革命である。

コンピュータができる前にインターネットは存在できない。

つまり、この革命には人類の数世代にわたる研鑽が必要だった。

しかし、今現在私たちはコンピュータや、インターネットの仕組みを理解せずともその恩恵にあやかれる。

更に、一番大きいのはその基礎を理解せずともそれを利用し、新しい価値を生み出し、お金を獲得できるということだ。

そう、過去の遺産を低コスト、もしくは、お金を掛けずに利用でき、お金を生み出せる。

もちろん、これは、IT革命だけに限ったことではなくて、農業革命、産業革命にも同じことが言える。

人類は言語を扱い、遺伝させることの出来ない記憶を、情報の保存と教育で補ってきた。

更に効率化を図るために組織を作り、大規模な計画さえも実現できるように専門性の高い組織を企業という形で存続させ、知的財産の効率的保存と継続的活動にも成功した。

今では、身体的進化をはるかに上回るスピードであらゆる分野の研究が進み、その産物を作り出している。

しかし、そのスピードはあまりにも速すぎるため、だんだん人類自体が追い付けなくなってきている気がしてならない。

 

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